20歳の頃に初めて観たDoit Scienceのライブは間違いなく自分の人生においてターニングポイントの一つだったが、それから15年が経ち、こうしてインタビューをすることになるとは夢にも思わなかった。
熊本を拠点に20年以上も活動を続け、数多くのバンドやアーティスト、DJ、ミュージックフリークにインスパイアを与え続けてきたDoit Science。
Doit Scienceのギター/ボーカルであり、近年ではソロでの活動も活発化しているサマリー(以下「清田」)にお話しを聞きました。
MITOHOSやOTOTOYで公開されている過去のインタビューやライナーノーツと合わせて読んで頂けるといい感じです!
クラハラ: 少し時間が経ってしまいましたが、Doit Science『2003-2023』LPのリリースおめでとうございます。今回のリリースに至った経緯を教えてください。
清田: きっかけはヤスパチさんだね。Honey RecordsというレーベルをやっているYASU-PACINO(以下「ヤスパチ」)って人がいて、ヤスパチさんは鹿児島出身で、東京の大学に行ってDJを始めて、仕事で熊本に引っ越してきたんだけど、そのタイミングでたまたまDoit Scienceのライブを観に来てくれたんだよね。nhhmbaseのときだ。ゲストがnhhmbaseで、おれたちが対バンで。それがヤスパチさんが熊本のバンドシーンに触れたきっかけだった。それからずっとヤスパチさんとは交流があったんだけど、Honey Recordsの10周年のタイミングでDoit Scienceのアナログをリリースしようって言ってくれて。Honey Recordsが最初にリリースした作品もDoit Scienceの「SPY vs SPY」をヤスパチさんがリミックスした7inchだったし、それからの10年の清算的な意味合いもあったのかな。このリリースの話はだいぶ前から貰ってたんだけど、やっぱり遅々として進まず・・(笑) ヤスパチさんも沖縄に引っ越しちゃったしね。でも今回やっとリリース出来たって感じ。
クラハラ: 今回のLPはドイツの工場でプレスを行ったんですよね。音にも相当こだわったと聞きました。
清田: そうそう、ヤスパチさんがエンジニアの人にマスタリングを何度もやり直してもらって。やっぱりヤスパチさんの音へのこだわりは凄いからね。その都度データを送ってくれてたけど、俺には言われてみれば・・・ってレベルの細かい部分まで何度もやり直してもらってた。プレスも最初は南米の工場に頼もうと思ってたみたいだけど、やり取りが上手くいかなかったみたいで、それでドイツの工場でプレスすることになったみたい。そのドイツの工場に腕のいい職人さんがいたみたいで。
クラハラ: カッティングの職人さんにまでこだわるとは・・・。それだけヤスパチさんの熱意が込められたリリースだったんですね。バンドや音楽をやっているとアナログで作品をリリースすることに憧れがある人も多いと思うんですが、清田さんにもそういった憧れはありましたか?
清田: もちろんもちろん。それこそ2ndアルバムをリリースした後に、次の作品は10inchでリリースしたいねって話してたしね。でも結局それは叶わず・・・。
クラハラ: Doit Scienceの2ndアルバムのリリースは2012年でした。3rdアルバム制作の予定はありますか?
清田: 一応ちゃんとしたのを出したいと思ってるよ。もちろん出したいと思ってるけど、今はどういう形態で出すのかって難しいよね・・・。曲数とかも。今はフルアルバムサイズの作品ってなかなかないしね。でも何らかの形で出したいとは思ってる。
クラハラ: みんな待ち望んでると思います。
清田: まぁまぁまぁ(笑) それと曲が揃ったらって感じかな・・・。
クラハラ: 今のセットリストだと一番新しい曲は「sugar」ですよね? 次の新曲の制作も進んでますか?
清田: ずっと作ってる・・・永遠に・・・(笑) 永遠に作ってるみたいになってる。
クラハラ: でも完成せず?
清田: 今はやっとAメロが出来たくらい(笑)
クラハラ: その曲はどれくらい前から作っているんですか?
清田: 2~3年前からかな? 7割くらいのところまで出来てたんだけどね。でも出来たものが最初のイメージとは違って・・・。バスドラの位置とか、また一から作り直してる。
クラハラ: そうなんですね。
清田: なんかやっぱり一番効率の悪いやり方で作った方がいいのかなって思うよね。例えば最初から俺がデモを作って、ドラムはこのリズムで~ってやり方は簡単だけど、それだと俺の想像を超えたものは出来ないしね。だからみんなでスタジオに入って、バスドラの位置を若干ずらしたりとかそういうことを繰り返して・・・。時間はかかるけど、もう時間はかかってもいいかなって思ってる。
クラハラ: 他のメンバーは曲を譜面に起こしたりしてるんですか?
清田: いや、起こしたりはしてないね。でも練習を動画に撮ったりはしてるよ。自分がどんな風に弾いていたとか結構忘れちゃうし、録音だけ聞いても思い出せないこともあるしね。
クラハラ: Doit Scienceの作曲では最初から清田さんはデモを作ったりしてなかったんですか?
清田: 作ったりしたこともあったよ。でも今はほぼ作らないね。作ってもみんな聴かないし(笑) でも逆にスタジオで作ったものをiphoneとかに打ち込んでデモに作り直したりはするよ。そこからアレンジを考えたり、アイディアを整理したりとか、そういうのはやったりする。
クラハラ: これまでの曲を作ったときも同じくらい時間がかかってたんですか?
清田: 昔はそこまでなかったよ(笑) でも自分の要求もどんどん高くなってくるしね・・・。それにメンバーが弾き間違えて出来たフレーズを採用したりもするしね。そういうエラーをちゃんと演奏出来るようになるのもめちゃくちゃ難しい・・・(笑)
クラハラ: Doit Scienceの結成は2002年ですよね。清田さんにとって、熊本という地方都市で20年以上という長い間活動を続けてこれたモチベーションや原動力はなんだったんでしょう? 例えば楽しいからとか?
清田: そうね・・・もちろん楽しいは楽しい。楽しいっていうかなんというか・・・作るのが楽しい。曲を作るのが楽しいっていうのが一番大きいかな。2000年代の熊本ってライブを思うようにやれる場所がなかったからね。そういう場所を作るためにイベントやったり色々やったりしてきて、それも楽しかったけど・・・。でも曲を作ってるのが楽しかった。スタジオが一番楽しかった。
クラハラ: 今でもそうですか?
清田: 今でもそう。
クラハラ: 2ndアルバムに同封されてたインタビューで、清田さんはバンドのことを「やめれるならやめたい」って話してますよね。今でもそう思いますか?
清田: うーん・・・そうね・・・。そのインタビューでも話したかもしれないけど、前はバンドのことを「業」だと思ってた。やらなきゃいけない、やらずにはいられないって、そういう感覚が強かったかな。創作欲求みたいなのものが湧いてくるのを表に出さざるを得ないって感じだった。それが無くなれば普通の生活が送れるんじゃないかって・・・。今もそうだけど、自分は曲を作らないといけないって、そういう感覚に毎日ずっと追われてるもんね。気持ち的に。それが無くなると楽だろうなって思ったりもする。
クラハラ: 清田さんは俺に昔話をしてくれた時に、「俺はずっと普通になりたかった」と話してくれたことがありましたね。それってそういう意味だったんですか?
清田: いや、俺は小さい頃からずっと、変だ、変だ、って周りから言われてきたからね・・・。それが嫌だった。小学校の体育の授業で自分は真面目にやってるつもりなのに先生から真面目にやれって怒られたりとかね・・・。ずっと普通になりたいなって思いながら育ってきた。でも今は普通になって、ある程度普通に振舞えるようになったからね(笑)
クラハラ: 失礼なことを聞きますけど、仮に清田さんがバンドや音楽をやめるときが来るとしたら、それはどういったときだと思いますか? 満足したとき?それとも今話したような創作欲求が無くなったとき?
清田: あー・・・そうだろうね。 創作欲求が無くなったときだろうね。それか・・・純粋に、もういいやってなったときじゃないかな。こういうものを表現したいけど、まあもういっかってなったときじゃないかな。多分。
クラハラ: もういっかってなる要因は何なんでしょう? 満足いくライブが出来たからとかじゃないんですよね?
清田: それはないと思う。例えば、こういうものを表現したいっていうイメージがわりと明確にあるんだけど、それを具現化する手段をずっと探してるっていう感じなんだよね。だからそれが見つかったら、もういっかなってなるのかもしれないね。
クラハラ: 過去のインタビューでは拍子や時間軸に捉われない作曲や演奏へのアプローチについて話していましたが、そういったアプローチに変化や新しい試みはありましたか?
清田: そうねぇ・・・。新しい試みはもちろんあるよ。でも基本的なとこは変わらないかな。それにもっと普遍的で、根源的な、そういうものに近づきたいなって思ってる。ソウルってあるじゃん?ソウルミュージック。ソウルミュージックもすごい好きなんだけど、ソウルにはもう完成形があると思ってて。だからその完成形にどこまで近づけれるかとか、それをどう現代的にアップデートするのかってことだと思うんだけど、それを違うやり方で実現させたい。それが非常に難しいっていうことなんだよね。そういうことをやりたいと思ってて、前よりも出来るようになってきてるような気はしてるけど・・・。そういうことが出来ればいいなと思うね。
クラハラ: 2ndアルバムに同封されてたインタビューで清田さんは「ライブを観てくれた人に感動して欲しい」と話していました。それでは清田さんは人が感動する音楽や表現ってどんなものだと思いますか?
清田: やっぱりその人そのものが見えるものだと思う。それってその人の人間性ってわけでもないと思うんだけど・・・そういうものが表現に現れてくると、人は感動すると思うんだよね。だから別にジャンルとか形態とかは全然関係ない。ライブを観に行くときも、そういうものを観たいと思ってるし。それってキャリアも演奏の上手い下手も関係ないんだし、俺はどんな人間でもその人の本質を何かで表せるんだったら、人を感動させられると思ってるから、それを観たいっていう感じだね。自分がそういった表現で感動してきたので、ライブを観てくれた人にも同じように感動してもらいたいなと思ってやってるんだなーって。
クラハラ: 清田さんの表現にとって一番大事なものもそういったことですか?
清田: そうね。それが一番大事ではあるけど・・・。でもなんか、いろんな要素があるっていうか・・・。よく話してるかもしれないけど、俺ってカタルシス厨じゃん?(笑) でも人を感動させるための表現であれば、別にカタルシスとか無くていいんよねってことをnessieをOrgan’s Melody(注1)に観に行ったときに凄く思ったんよね。nessieはマジでカタルシス無い(笑) でも表現としてのクオリティがすごく高い。別にカタルシスは無くてもいいんだけど、やっぱり俺には甘えっていうか自分が楽しみたいとか盛り上がりたいって気持ちもあるから、俺は自分の表現にカタルシスを求めるんやと思うし、あとポップな部分も俺は欲しいなって思う。でもそれはあくまで付加要素というか、オプションみたいなもんなんよね。そういう要素が組み合わさって一つの表現になるからね。やっぱりライブでもその人の表現が観たいよね。そうじゃなくて表面だけの・・・。
クラハラ: その話し、大丈夫ですか?そのまま書きますよ?(笑)
清田: (笑) でもそういうのはやっぱり面白くないなって思うよね。
クラハラ: 上辺だけの表現?
清田: 上辺だけのっていうか・・・上手だなぁってだけのやつとか・・・。とは言え、よく出来てるものとか突き詰めたものにも良さはあるよね。だからそれはそれで俺はすごく好きなんだけど・・・音楽的にすごく良く構築されたものというか。でもそういう風に見せかけてるのが嫌なんだよね(笑)
クラハラ: ムカつく?(笑)
清田: ムカつくっていうか・・・もっとちゃんとやれよって思う(笑) それと最初から変なものを作ろうと思ったらダメなのかもね。何かを表現するときにもっと変になりたいって思っちゃうと、余計なフィルターがかかっちゃう気がする。
クラハラ: でも、その人の表現って一番難しいことですよね。
清田; そうそう。いろんなことに捉われたりすることもあるだろうけど、でもそこを抜けられればその人の表現が出せる日が来ると思う。そういうのを観たいよね、やっぱり。
クラハラ: とても大きな壁ですよね。
清田: でもふとした瞬間にさ、出来るというか掴めたりする日が来たりするじゃん。これでいいんじゃん、みたいな。歌だったら声の出し方ひとつでもそうだし。そういうのって、ふとした瞬間に訪れる。
クラハラ: なにかを掴む瞬間って何気ないことがきっかけだったりするかもしれないけど、そこに至るまでには沢山試行錯誤したり苦しんだりするんでしょうね・・・。
清田: そうそう。それはもう沢山苦しんだりすることもあると思う。でも、その先に必ずある。
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クラハラ: ここ数年でサマリー名義でのソロ活動も活発になりましたよね。それには何かきっかけがあったんですか?
清田: きっかけというか、本当にずっと前からソロもやらないといけないと思ってたんだよね。やっぱり歳をとるとバンドがそんなに動けなくなってくるでしょ。それなら自分だけである程度出来るような形を作った方がいいなと思ってたんだけど、実際にやり始めたのはここ2年くらいだから割と最近だね。それにソロでやるっていうことがどういうことなのか最近なんとなく分ってきて。ソロだと弾き語りをやろうとしてたんだけど、散々やって弾き語りって結局俺には出来なくて・・・。俺がやりたいのは「歌」と「ギター」だってことがようやく分かってきたんだよね。それでようやく楽しくなってきた。
クラハラ: 作曲のアプローチはバンドでの作曲と変わらないんですか?
清田: そうだね。でも最初は作曲もアンサンブルで考える癖がついてたから、やたら音数が多かったんだよね。それだとどうしても弾けないから音数を減らしていって、それでようやく形になるって感じ。バンドでも最初はそうだったよ。最初はもっとややこしい音楽をやろうとしてたんだけど、これは出来ないと思って・・・。出来るだけ弾かないようにすればいいんだって気づくのにだいぶ時間がかかっちゃった。
クラハラ: ソロだと出来ることっていうか、選択肢は減るじゃないですか? 演奏でもアレンジの部分でも。そういったことに不自由さは感じてませんか?
清田: それも出来るだけ関係ないようにっていうか、出来るだけ最小限で出来るようにって感じでやってるかな。だからなかなか難しい・・・。難しいっていうとなんかアホみたいだけど(笑)
クラハラ: じゃあ最小限の音数と、あとは「歌」。
清田: 「歌」。 「歌」っていうのはいわゆる歌心とかじゃなくて、「歌」。声っていうか・・いや、声でもないな。詩も含めて「歌」っていうか・・・そういう感じかなー。
クラハラ: 清田さんは言葉遊びみたいなものから歌詞を作っていくんですよね。
清田: ん~まあそうね。最初に思いついた言葉から作ることが多いね。あと発声して自分が気持ちよくないと嫌だよね。 歌ってて気持ちよくないと嫌だ。だからそれが難しいね。気持ちいい単語をずっと探してる。 発声して気持ちいい単語。日本語とか擬音とか何でもいいんだけど。ギターとかも弾いてて気持ちいい音じゃないと嫌なの。聞いてて気持ちよくないと嫌だし、歌ってて気持ちよくないと嫌。それでめっちゃいい曲じゃないと嫌だ(笑)
クラハラ: (笑)
清田: いつも話してることだし、バンドでもそうなんだけど、最終的には無音になりたいんだよね。
クラハラ: 昔からよく言ってますね。
清田: 無音だけどみんなめちゃくちゃ踊ってて、ダンサブルで、自然とコール&レスポンスが起こる、みたいなのをやりたいんだよね。 それをどうやって実現するかっていうのは、なかなか難しいし、多分誰もやってないと思う。今までの歴史で。
クラハラ: 今までの歴史・・・(笑) さっきの音数の話もそうですけど、これって何かを簡略化したいとかそういう話ではないんですよね?
清田: そうそう。結果的に、あっ無音やん・・・って感じ。でもその絵は頭に浮かぶんだよね。何かやり方があるはずじゃない? それを探していきたい。それが出来たらもう音楽やめると思う。ていうか俺もう消滅するかも。違う次元に行っちゃうみたいな(笑)
クラハラ: ライブを終えた清田さんが目の前で別の次元へ旅立って行ったら、めちゃくちゃ感動するだろうな・・・。めちゃくちゃ笑っちゃうかもですけど(笑)
クラハラ: Doit Science結成時やそれ以降のお話は過去のインタビューなどでも語られているので、今回はDoit Science結成以前の清田さんのお話を幼少期の頃から少しずつお聞きしたいと思っています。清田さんが生まれたのは熊本市内ですか?
清田: いや、俺が生まれたのはね・・・神奈川とからしいよ。
クラハラ: えっそうなの?(笑) 全然知らなかった。
清田: 俺も全然覚えてないだけどね。熊本に住み始めたのは2歳か3歳くらいの頃らしいよ。俺の最初の記憶もそれくらいの頃の保育園の記憶なんだけど、その記憶の中には俺が映ってるんだよね(笑)
クラハラ: 俯瞰で見てるってことですか?(笑)
清田: そうそう(笑) 俺が俯瞰で歩いてる俺を見てる(笑) 母親に手を引かれながら歩いてるとこ。それを覚えてるね。
クラハラ: それは記憶じゃなくてイメージなのでは・・・(笑) 熊本に引っ越してきたのはどうしてだったんでしょう? 両親の仕事の都合ですか?
清田: そうそう。引っ越してきたっていうか、仕事の都合で帰ってきたんだって。
クラハラ: ちゃんぽん屋さんをやってたのは清田さんのお父さんでしたっけ?
清田: いや、ちゃんぽん屋だったのはじいちゃんとばあちゃん(笑) 父親は最終的にらくのうマザーズで働いてたけど、その前は焼き鳥屋の営業部長?かなんかだったらしい。俺が小学校に上がる直前で父親と母親は離婚したから、それで父親の実家に来たのね。その実家ってのがちゃんぽん屋。だからおれは食堂で育ったんだよね(笑)
クラハラ: 小学生の頃の清田さんはどんな子供だったんですか?
清田: 俺はめちゃくちゃ活発な子供だったよ。
クラハラ: えーそうなんだ。明るい子供だったってことですか?
清田: そうそう。活発な子供だったと思う。声も大きくて。
クラハラ: 声(笑) じゃあ友達も多くて、いつもみんなで遊んでるような子供だったんですか?
清田: いや、友達はいなかったよ。
クラハラ: えっ?
清田: 4年生くらいの頃まで友達っていなかったんだよね。友達って概念が無かったから。
クラハラ: 概念・・・。じゃあ友達と遊んだりってほとんどなかったんですか?
清田: あんまりしてない。家に近所の子供が遊びに来てたりはしてたけど。
クラハラ: でも友達ではない?
清田: 友達っていう概念が無くて。クラスの席替えってあるじゃん? いつもはクジで決めてた席替えを、今回は好きな人同士で隣の席になっていいよってなったことがあって、それで俺は普通にあぶれたんだよ。友達がいないから。でも俺は別に何も思わなかったね。一人なら一人でいいよみたいな。
クラハラ: ・・・・・・。
清田: 小学生の頃はサッカー部だったんだけど、それも友達が入るから自分も一緒に入るとか、サッカーがすごく好きだからとかじゃなかった。ただ一人で入ったって感じ。でも、さっきの席替えで近くに座ってた3人組の仲良しグループと結果的によく話すようになって、それで友達っていう概念を知ったんだよね。それからはそれなりに友達が出来たけどね。概念を知ったから。
クラハラ: 概念を知ってどう思いました? 友達っていいなって思いましたか?
清田: あ~それは思わなかったけど・・・。
クラハラ: ・・・・・・。
清田: 普段から友達って言葉をほぼ使わないんだよね。例えば友達いる?って聞かれたら、友達って何だろう?って考えちゃうタイプ。今でも誰々は友達ってあんまり言えない。
クラハラ: 言わないだけですか?思ってはいる?
清田: 例えば彼氏彼女みたいな付き合うってことも、付き合うって何なんだろう?って考えちゃう。山口君(Doit Science)のことですら友達とは呼ばないかも・・・。
クラハラ: 山口さんとは毎年一緒に初詣に行ってるんですよね?(笑)
清田: 俺がただひねくれてるだけかもしれないけどね。言葉の捉え方を俺がちょっと考えすぎてしまうタイプだったっていうことかな。知り合いってよく言ったりはするけど、知り合いって言い方もなんか冷たいよね。だから便宜上は友達って言葉も使ったりはするけど・・・。
クラハラ: 便宜上って・・・。じゃあ例えば俺やジュンさん(NAVARO、4JC RECORDS、trialerror)みたいな人たちのことを表現するならどんな言葉になるんですか?
清田: 仲間。
クラハラ: 泣ける・・・(笑) でも仲間ってより強い結びつきを指す言葉ですよね。
清田: 仲間だとチームって感じじゃん? そっちの方が言いやすいかも。
クラハラ: あーなるほど。
清田: 90年代にバンドを始めた頃って、アメリカのインディーシーンにすごく憧れてたのね。たまたま仲のいい仲間がバンドをやってて、その仲間のバンドがかっこいい。で、お互いにサポートしてリリースしたりとかしつつ、それがすごく音楽のクオリティが高いから世界からも注目されて・・・みたいなのにすごく憧れがあった。そういうシーンを作りたいなと思って最初はイベントを始めたんだよね。でも、俺の世代はバンドも人もすごく少なかったからね。少なかったていうか、ブロッケンと鬼☆弁慶ぐらいしかいなかったから。だからその時は無理だったんだけど、それからNAVARO(注2)でイベントをするようになって、trialerrorやtalkが出てきて・・・ちょっと感動したよね。これがシーンなのかもって思っちゃった。
クラハラ: 清田さんたちがNAVAROに機材を持ち込んでライブをするようになって、それから人もバンドも少しずつ移り変わって、今の熊本のシーンは素晴らしいバンドが沢山増えました。熊本のシーンは清田さんが憧れたものに近づいていますか?
清田: そうね・・・近づいてるんだろうね。近づいてるんだと思う。近づいてるというか、ほとんどそのものじゃないかな。でも、もっとエポックメイキングなバンドが出てこないといけないって思ったりもする。出てこないといけないって言っちゃうと変だけど・・・。出てきて欲しいっていうか。わかりやすく言うとNirvanaみたいなバンド。本当は俺たちがそうなるべきだったんよね。Doit Scienceが、ということではなくて俺たちの世代からそういうバンドが出てたら良かったと思ったりはする。
クラハラ: Doit ScienceがNirvanaみたいになってたら、逆に今の熊本のシーンはなかったんじゃないかな・・・。それに俺たちにとってのDoit Scienceは十分それに近いものだと思いますよ。
クラハラ: 中学生の頃の清田さんは剣道部だったんですよね? 音楽を始めたのは高校生くらいからですか?
清田: そうそう。高校で吹奏楽部に入ってサックスを吹き始めて。それが最初。吹奏楽は結構一生懸命やってたよ。
クラハラ: 吹奏楽部に入ったきっかけは何だったんですか?
清田: きっかけは・・・サックスが吹きたいとか、そういう感じだったと思う。
クラハラ: いきなり? 例えばよく聴いてた音楽にサックスが入ってたとか、そういうことでもなく?
清田: なんだろうね。実はあんまり覚えてないんだよね。割と勢いで入ったと思う。なんか音楽をやりたかったんだろうね。
クラハラ: 当時はどんな音楽を聴いてましたか?
清田: 中学校の頃はBOØWYが大好きだったよ。その頃はBOØWYはもう解散してたけどね。でもBOØWYの曲は今でもほとんど歌える(笑) あとはBARBEE BOYSとかUP-BEATとか、そういうのが好きだったよ。
クラハラ: ドラムを始めたのもその頃ですか?
清田: そうそう。高校入ってすぐにバンドも始めて、俺がドラムになった。なんかドラムやりたいなって思って。そのバンドは学祭でUNICORNのコピーをやったりしてた。
クラハラ: じゃあ高校生の頃の清田さんは吹奏楽部とバンドで演奏してたんですね。
清田: そうだね。吹奏楽は結構一生懸命やってたんだけど、でも俺はああいう集団の演奏には向かないってことがわかったんだよね。
クラハラ: それはどうしてですか?
清田: ああいう音楽って奏者が個性を出したらダメなんだよね。
クラハラ: 譜面がある曲を演奏するわけですしね。
清田: 求められる理想の音ってのがあるんだよね。その人なりの音とかじゃない。だからなんかつまんねえなと思ってた。あえてピッチを高く吹いたりしてたもんね。それでなんかもう向いてないなって・・・。
クラハラ: その後は熊大に進学してロッ研(ロック研究会)に入るわけですね。どうしてロッ研に入ったんですか?
清田: 高校の頃のバンドのメンバーが居酒屋でバイトしてて、そのバイト先にロッ研の人がいたんだよね。だからその人ともANTHRAXのコピバンやったりしてて・・・。
クラハラ: えっ清田さんメタル派だったんですか・・・?
清田: いやいやいや(笑) 俺はもう全然好きじゃなかったね。全然好きじゃなかった。
クラハラ: そのANTHRAXのコピバンでもドラムだったんですよね?
清田: そうそう。ドラムだった。
クラハラ: めちゃくちゃ観たい(笑)
清田: その先輩がいたから、熊大でも自然にロッ研に入ったって感じだね。
クラハラ: 大学生になって、ロッ研で組んだバンドがブロッケン?
清田: いや、ブロッケンはロッ研で組んだバンドじゃなくて、文学部のドイツ文学コースで組んだバンド。
クラハラ: ロッ研で組んだバンドじゃないんですね。
清田: そうそう。ブロッケンはギター、ギター、ドラムの三人だったんだけど、ドイツ文学コースの先輩にヒョウドウさんっていう人がいて、その人がもう一人のギター。ドラムも最初はドイツ文学コースの人だった。ヒョウドウさんもかなりイカれてる人だったんだけど、その人と俺でお互いに曲を書いてた。俺もギターを買ったばっかりで曲作ってライブやったりしてたもんね。
クラハラ: ブロッケンを組んだタイミングでギターを始めたんですね。
清田: そうそう。ギターは全然弾いたことなかったけど、買って2週間くらいでもうライブしてた。ギターとコードブックを買っただけでまだ全然弾けないけど、いやそんなの関係ねえよって感じで。俺はこれをやらなければいけないって使命感があった。俺はこれを歌って表現しないとといけないって。
クラハラ: 清田さんのお母さんは大学でドイツ語を教えてたんですよね? 清田さんが文学部のドイツ文学コースを選んだのもお母さんからの影響ですか?
清田: いや、それは直接は関係ないかな。とにかく実用的なものが嫌だったんだよ(笑) 学部も熊大を受験する直前で法学部志望だったのを文学部に変えたんだよね。とにかく無駄なことしかしたくなかったから(笑)
クラハラ: おれ、本屋なんだけどな・・・(笑) ちなみに清田さんのご家族には他にも音楽が好きな人がいたんですか?
清田: いや、音楽好きなのは俺だけだったよ。
クラハラ: 過去のインタビューではDoit Science結成時にインスパイアされた音楽にJoan of ArcやBraid、Lunaといった海外のバンドの名前を挙げていますね。それでは当時の九州や福岡のローカルで活動していたバンドとの交流はどんなものだったんでしょう?
清田: ブロッケンはやっぱり熊本では全然ウケなかったんだよね。でも当時は天神のビブレホール(注3)に吉田さん(PANICSMILE)がいたから、それでビブレホールのライブによく出させてもらうようになって・・・。少し前にTwitterにも書いたけど、当時それでDjango(注4)から怒られたんだよ。なんで勝手に県外のライブハウスに出てんの?って(笑) でもそれからよく福岡でライブするようになって、folk enoughとかtepPohseenとかと知り合って・・・。当時のライブの半分くらいは福岡でのライブだったんじゃないかな。それからブロッケンのメンバーが役所に就職してあんまり活動が出来なくなったから、それで新しく始めたバンドがDoit Scienceだったんだけど、Doit Scienceも形になるのに時間がかかったからね・・・。その間は福岡のシーンとは疎遠になっちゃってたんだけど、福岡のシーンもその間に結構変わっていってたと思う。
クラハラ: 吉田さんが東京に移住されたりとか?
清田: 吉田さんが東京に移住したのもそうだね。当時はTIME MARKET(注5)がdecadent Deluxe(注6)でやってた「絶頂天」とか、tepPohseenとaccidents in too large fieldがやってた「問題」とか盛り上がっていたのだけど、その頃は俺はまだバンドが軌道に乗っていなくて福岡のシーンから少し離れてた。その後は福岡でnhhmbaseと一緒にやったりもしたんだけど、ボギーさんのラウンジサウンズ(注7)に出させてもらう機会があって、その時の対バンがマクマナマンとruruxu/sinnだったの。それで今の繋がりが出来たんだよね。福岡のシーンもどんどん移り変わっていってたけど、それでも俺は90年代からの福岡のシーンにめちゃくちゃインスパイアされたからね。PANICSMILEとかNUMBER GIRLとか。ちょうど向井さん(ZAZEN BOYS)のインタビューが最近話題になってたけど。
クラハラ: あのインタビューで向井さんが話されてたことはブロッケンが活動を始める少し前くらいのタイミングのことですか?
清田: 時期的にはギリギリ被ってないくらいかな・・・? 年齢的には向井さんと俺はほぼ同世代なんだけどね。ブロッケンが活動が軌道に乗ったころにはもうNUMBER GIRLはもっと人気が出てたと思う。チェルシーQも一度観に行ったりしたけど、NUMBER GIRLのCDが出たときは結構衝撃だった。あれこそエポックメイキングよね。九州のローカルのバンドをレーベルがリリースして流通させるって、初めてのことではなかったかもしれないけど、当時はやっぱりかなり珍しかった。もう少し前の話だと、PANICSMILEが出してたカセットもジャケットから全部カッコよくて衝撃だった。まだイラレとかもみんな使ってない時代の話。それで俺もイラレ使い始めたしね。他にも福岡のシーンは当時から盛り上がってて、SPARTA LOCALSとかDOESとかMO’SOME TONEBENDERとかメジャーに行ったバンドもいたし、カッコいいバンドは沢山いて盛り上がってたと思う。
クラハラ: 清田さんは熊本からそういった福岡のシーンの盛り上がりを見て、影響を受けていた立場だったんですね。
清田: そうそう。羨ましいなって思ってた。当時も福岡でライブはしてたし仲良い人たちもいたけど、自分はやっぱり外様なんだなって思ってた。自分はこの盛り上がりの外側にいるんだなって。それで自分でも熊本でイベント始めたみたいなところもあるよね。Doit ScienceでArt Blakey(注8)を始める前はブロッケンでもイベントをずっとやってたけど、90年代はインターネットもなかったからアーカイブが残ってないんだよね。誰も何の記録にも残っていない。悲しいよね。何も残っていないと。でも、俺たちは90年代も奮闘していた!これは敢えて言っておきたい(笑)
クラハラ: ブロッケン時代はどういった場所でイベントをやってましたか?
清田: Djangoでもやったし、The Sharpっていうバーが昔あったんだよね。タワレコがあった旧ダイエー(現COCOSA)の裏にあったんだけど、そこでもやったりしてた。あとはINDIGO(注9)とかね。最初のイベントはThe Sharpでやった。懐かしい。その後にDjangoでイベントやったときはFIELDにゲストに来てもらった。
クラハラ: FIELDとも交流があったんですね。
清田: FIELDにもイベントに呼んでもらってたんだよね。FIELDのイベントはBIRTHDAY EVENTっていって、後からPOP IT!って名前に変わったけど、そのイベントはツインステージだったの。ビブレホールにツインステージ組んでイベントやってたのが結構衝撃で。おれもこれ絶対やろうって思った。
クラハラ: その体験がArt Blaekey Fesのツインステージに繋がっていくわけですね。
クラハラ: これからやってみたいことや興味があることはありますか?
清田: 音楽以外で?
クラハラ: 勿論音楽のことでもいいですよ。例えばツアーに行きたいとか。
清田: やっぱりツアーには行くべきよね。
クラハラ: それはソロで?
清田: ソロで。少し前に熊本に来てくれたRyo Hamamotoさんも、やっぱり行くべきよねって思ってツアーをすることにしたんだって。車で東京から全国を回って結構大変だったみたいだけど、でもやっぱりそういうのもやるべきかなって。
クラハラ: 清田さんは少し前に「これからは恩を返していきたい」って言ってましたよね。
清田: 恩っていうか義理なのかな・・・? 結果的に長いこと音楽をやってきて、もう自分がもっと成功したいとかそんな感じでもないし、自分がこれまで受けてきた義理とか恩を返していくのが大事なのかなって思うようにはなったね。
クラハラ: 熊本にもこれまで沢山のバンドやアーティストに来てもらいましたよね。
清田: 熊本に来てもらったのもそうだし、県外からバンドにライブのオファーを貰っても断ってばっかりだったからね・・・。バンドではなかなか動けないけど、今はソロでも少しずつやれるようになってきたしね。この間もRAG.G(注10)で久しぶりにo’summer vacationのミキ君と会って色々話したけど、ミキ君に最初に会ったのも十数年前だもんね。そんな風にこれまで知り合ってきた人たちとたまに会ったりするのってめちゃくちゃ感慨深いよね。でも恩とか義理って言葉だとなんかしっくりこないんだよね・・・。一番近い言葉だとは思うんだけど、なんかちょっとダサい(笑) 同じ時代を生きてきて、みんなそれなりに色々とあって・・・って感覚もあるんだけど、でもこれって別にそんなにエモい感じじゃないんだよね。何かいい言葉ないかな?(笑)
クラハラ: 単語で表現するのは難しいですよね・・・。HIMOの「残骸の数々」という曲に「平行に歩いて 俺達は時々交差する」って歌詞があるんですけど、個人的にはこの言葉の感覚が一番近いかも。
清田: あっ確かにそうね。それが感覚的には一番近いかも。みんなが各々の道を行って、結果的にたまに交わったりするってやっぱり凄いことだもんね。
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注
1) 山口市湯田温泉のライブスペース。
2) 熊本市のライブハウス/クラブ。2016年の熊本地震がきっかけとなり移転。Doit Scienceなど様々なバンド/アーティストのホーム。
3) 福岡市の「天神VIVRE」8階にあったイベントホール。
4) 熊本市のライブハウス。
5) ガロリンズのギター・ボーカル、藤井よしえさんが代表を務めていた音楽情報誌。16年もの間、福岡や全国のバンド/アーティストを紹介し、イベントも主催していた。
6) 福岡市のクラブ。2011年に閉店。
7) 福岡市のライブハウスThe Voodoo Loungeにて毎週平日に開催されているライブイベント。
8) Doit Scienceが主催しているイベント。
9) 熊本市の老舗クラブ。2011年に閉店。
10) 佐賀市のライブハウス。
[PROFILE]
熊本で長く活動を続けるバンド”Doit Science(ドイ・サイエンス)”のGu./Vo.、及び各地よりオブスキュアなアーティストを招聘するイベント”Art Blakey”主催などなど、熊本オルタナティブシーンに深く関わり続けている。
ソロでは、アコースティックギターと歌だけで表せる音楽の可能性の拡張を目指す。
OTOTOY インタビュー ↓
https://ototoy.jp/feature/20120409
HITOHOS インタビュー ↓
http://www.loolowningen.com/2020/12/mitohosdoit-science.html
『2003-2023』LP ライナーノーツ ↓
https://note.com/xjcx/n/n4a88a8dcb7ed?sub_rt=share_b